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【第961話考察】“月の印”が流行ったのは41年前

足首に“月の印”を彫っているのは反乱の意志を持つ証し。その刺青について、牢屋敷に捕まった男が言ってましたよね。
これはただの昔の流行り模様
これはただの昔の流行り模様!!


その「昔」とはいつの事なのか。
なぜ その印が流行ったのか。


41年前の“山の神事件”が鍵を握っているのではないだろうか!?


判じ絵の「逆三日月」
判じ絵に使う「月の印」の事を「逆三日月」と言ってます。左右が逆なんですね。


正しくは光月おでんの胸に染め抜かれた
おでんの胸に三日月の紋
↑ コチラの向きが正しいんでしょうね。確かに陰暦3日の月ならコレが正しかったと思います。



そもそも、この光月おでんの紋を逆さにして左足首に彫るのが流行ったんだと思うんです。


今から41年前の“山の神事件”。山の神を一刀両断した光月おでんに惚れ込んだ花の都の男達。しかし、それを口にする事は出来ません。都の4分の1を破壊した事件の発端を作ったのが光月おでんだと思っているからです。
おでんに付いて行きたい気持ちを堪える男達の一歩で…
本心では光月おでんに付いて行きたい。でも出来ない。その時 踏み止まった左足。ここに「月の印」の刺青を彫ったのが発端ではないだろうか。


逆さにしたのは、光月おでんの紋のままだと慕っていると勘付かれてしまうからか。あるいは、「月の印」というのは光月将軍家を暗喩したものであり、
城に向かって絶縁状を掲げる光月おでん
大好きな光月おでんを絶縁し都追放とした将軍スキヤキへの反発だったのかも。


思い返せば、


白舞の大名だった康イエが、
トの康は足に逆さ三日月を知らなかった
反乱の意志を持つ者が足に逆さ三日月を彫っているって事を知らなかったのです。


これによって何が分かるのか。


康イエがトの康として暮らす「えびす町」というのは花の都の外れにあるんでしたよね。花の都からの“おこぼれ”を貰ってたんです。それゆえにSMILEの悲劇が起きた。「えびす町」には花の都の情報がすぐに入って来ます。
丑三つ小僧が来てくれた!!
丑三つ小僧が来てくれたのに、都で泥棒の話が出てない事を知ってたんですもん。


つまり…


花の都の人々が月の印を足首に彫るのが流行ったのは、康イエが「えびす町」で暮らす以前である!!


20年前に光月おでんが処刑されるより以前なんです。まだ康イエが白舞の大名をしている時に流行ったんですよね。
決戦を知らせる判じ絵に歓喜する人々
↑ こういった若者達が「月の印」を彫ったのは流行った時期ではなく、その後コッソリと、でしょうね。康イエ(トの康)にも知られない様に。そして その印の意味を知っていて、尚且つオロチ達に知られない様に。



その「月の印」というのが、光月おでんを陰で慕った者達の間で大流行した時期が20年より以前にあったのでしょう。そう考えるならば、この“山の神事件”から処刑されるまでの間で光月おでんがヒーロー視される様な出来事ってあるのだろうか。もう都からは追放されたんです。
「九里大名」の地位を与えられた光月おでん
一応は九里の大名として認められる時というのも候補には上がるのですが。それによって花の都の人々が、というのは少し違う気がするんです。


それに加えて この「月の印」を
捕まった赤鞘九人男
光月おでんの家臣である赤鞘九人男は彫っているのだろうか。そうは思えないんです。彼らが背負うのは
光月一族の家紋
光月一族の家紋であって「月の印」ではない筈です。錦えもん達もよく知らなかったんじゃないかな。そもそも その印がどんな経緯で生まれる事となったのかを。



花の都を追放された光月おでんと共に錦えもんと傳ジローが出て行った後に流行ったんじゃないかなぁ。41年前の事件の直後にです。スキヤキ将軍には知られない様にコッソリとね。
カッコ良すぎて叫びそうだった!!
↑ こんな人達の間でです。この光月おでんに付いて行きたいという気持ちで彫った印というのが、光月おでんを処刑したオロチ&カイドウに対する反乱の意志を示すものに変化する。その意志は若い者達にも受け継がれて行く事となる。全ての発端は41年前の“山の神事件”にさかのぼる。こう考えます!!



どうなんでしょうね?

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