【武士道】勇敢なる海の戦士の“勇敢”って何なのだろう

この第1036話にてウソップなりの1つの信念が示された様に思います。彼が目指す「勇敢なる海の戦士」とは何なのだろう。そもそも“勇敢”とは何なんでしょうね。武士道というのがポイントになっているみたいです。
-画像はONE PIECE 第1036話より引用-
【勇敢とは何なのか】

-ONE PIECE 第117話より引用-
ウソップの夢は父ヤソップの様な「勇敢なる海の戦士」になる事です。リトルガーデンにてエルバフの戦士2人(ドリーとブロギー)の決闘を目の当たりにして、これこそが自分のなりたいモノであると思ったんですよね。
では、“勇敢”とは何であるのか。
それはまさに勇気であります。危険や困難を恐れず立ち向かう様ですよね。ウソップが目指すモノとしては納得です。それと最も程遠いトコロにウソップはいるのです。

-ONE PIECE 第132話より引用-
例えば “島に入ってはいけない病”などはその典型ですよね。何かあればガタガタと震え、臆病者の代名詞とも言えるのがウソップという男なのです。
僕は、こういうのが徐々に無くなって行くのだと思っていました。ウソップの中の臆病な部分が消えた時、彼の夢が叶うんだろうなと思っていたのです。
ただ、ある種の疑念も持っていました。それはウソップの“らしさ”が失われるのではないか?という部分なんですよね。他の仲間達の夢というのは、今の自分を信じた先に夢の実現が待っているのです。
ウソップだけ、今とは別の人間になりたいと願っていると考えて良いのだろうか。とはいえ、そういった夢を持つのも良いんです。今の自分を変えたいという想いはアリなんです。
でも、ウソップだけそうなの?
そんな事はない。
変えなくて良いのかも知れない。

-ONE PIECE 第1話より引用-
「海賊王」になるには未熟な海賊ルフィ。「世界一の大剣豪」になるのは未熟な剣士ゾロ。ウソップも彼らと同じなんじゃないかな。自分を変える必要など全くない。まだ未熟なだけ。今の自分を信じた先に夢がある。そのまま突き進めば良い!!
こういう事なのかも。
【武士道とは】
第1036話のサブタイトルは“武士道と云うは死ぬことと見つけたり”であります。ここに尾田先生が考える“武士道”とは何たるかが描かれていると思うんです。強烈なメッセージが含まれていそう。
そこでまず1つ書いておきたいのですが。

-ONE PIECE 第1036話より引用-
ウソップと錦えもん&お菊のやり取りが描かれてますが、どちらが正しいとかの話じゃない様な気がするんです。
錦えもんは、自分は良いからお菊を助けてくれと言う。お菊は、自分はもう助からないから放ってくれて良いという。それは命を捨てているのではないんです。それで他者が助かるなら… という気持ちから来るモノ。
ウソップが否定するのはコレじゃないハズ。
では、何を否定してるのか。
ワノ国の文化の何がウソップは嫌いなのか。

-ONE PIECE 第986話より引用-
死に損なうという考え方こそを否定したいんだと思うんです。この考え方に対して…
おれは鼻水たらしても“生”にしがみつく!!!
見苦しくても!! 生きて!! 生きて!!
生き延びて来たから今生きてんだ!!!
↑こうウソップは言ってるんだと思うんです。
カイドウとの決戦で死ぬつもりであったのは悪くない。モモの助を逃す為に盾となったのも悪くない。しかし、それで拾った命を名もなき雑兵に取られるのはどうなの?カン十郎に刺されて死ぬのは良いの?
今こそ生きようとすべきなんじゃないか。
自分達に代わって“麦わらのルフィ”がカイドウを討とうと戦ってくれている。ここの一筋の希望を持ったからこそイゾウは考えを改めた。死に損なっていない!!
こういう事じゃないかと思いました。

-ONE PIECE 第1036話より引用-
第986話で「もう死に損なうのはたくさんだ」と言っていたイゾウが、今回ウソップの言葉に「その通りだ」と同調したのは大きな意味があると思うんです。
同じ志を持ってカイドウに挑んだイゾウの言葉だからこそ錦えもんとお菊に重く響くんだと思うんですね。
今回のサブタイトルにある「葉隠」の一節は死ぬ事を良しとするモノではありません。“常住死身に成る”という事であって、いつ死んだとしても後悔しないように“生きよう”という事。
そして武士道の精神で有名なモノとして、新渡戸稲造の著書『武士道』に出る水戸光圀の言葉というのがあるのですが。
戦場に駆け入りて討死するはいとやすき業にていかなる無下の者にてもなしえらるべし。生くべき時は生き死すべき時にのみ死するを真の勇とはいうなり
戦場で突っ込んで行って死ぬなんて事は誰だってできる。それは“匹夫の勇”であると戒めているんですね。そんなモノは本当の勇気ではない、と。
これか!!? と。
【勇敢なる海の戦士】

-ONE PIECE 第117話より引用-
ウソップのなりたい「勇敢なる海の戦士」の“勇敢”とは、ある意味で武士道と通じるモノがあるんだなと僕は思いました。生きるべき時と死ぬべき時があり、そこに真の勇気というのがある。これが第1036話における尾田先生からのメッセージじゃないかなと。
島に上陸する前に怯えても良い。慎重に事を起こすべき。敵わないと思えば逃げて良い。だからといって誇りが失われる訳ではない。「蛮勇は勇気にあらず」です。懸命に命を守るべき。
ただ1つ!!
どうしたって立ち向かわなければならない時がある。その時こそが「死すべき時」であって。ここで自身の“勇”が試される。そこからウソップは決して逃げて来なかった。
ずっとウソップは“勇敢”だった!!!

-ONE PIECE 第186話より引用-
もしも仲間の夢を笑われた時には、どうあっても勝ち目のない相手であっても戦いを避けてはならない。そう言って立ち向かったのです。自分を信じてくれたトンタッタ族を見捨てる事もしなかった。
しかし、「あれ?」と思わせる様な言動はあります。もっともっと“勇敢”にならねばならない時もありました。それでも今のままで成長した先に夢の実現があるのであって。勇敢じゃないから勇敢にならねばならないという事じゃない。
こういう事だと思うんですよね。
今回、瀕死の状態で動けない侍2人(錦えもんとお菊)に対してウソップが逆に武士道を説いているカタチになっています。そう描いている風ですよね。
そんなウソップはエルバフの戦士の様になりたいと言ってます。そんなエルバフの戦士ブロギーが戦意を喪失する場面があったのです。リトルガーデン編です。
そんなブロギーに対して…

-ONE PIECE 第122話より引用-
Mr.武士道ゾロが戦士の心意気を説くシーンがあったんですよね。まだ動けるだろ?と。何となく今回のウソップと錦えもん達のシーンと重なるモノがあるんですよね。
ウソップと武士道、そしてそれはエルバフの誇りへ。こう話は繋がって行くのかも知れません。どこか「勇敢なる海の戦士」というのは漠然としたモノでありましたが、徐々に見えて来たと言えるのかもです。“勇敢”というのは単純に“臆病”の反対でもなさそうな。
見守りたいですね!!!
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